第52回 異物スペクトルの解析㉙ ゴム添加剤(ステアリン酸類)

更新日: 2025/6/5

これまで異物スペクトルの解析では、主に樹脂と無機化合物を取り上げてきました。今回からゴムについて触れていきます。最終製品としてのゴムには、主成分のゴムに、加硫材、加硫促進剤、加硫促進助剤、酸化防止剤、充填剤、可塑剤、滑剤、分散材・・など非常に多くの物質が配合されています。本ブログではすでに様々なゴムの添加剤のスペクトルを取り上げ、IR スペクトル上での判別の方法を紹介してきました。加硫促進剤に使われる酸化亜鉛や充填剤として使われるシリカ炭酸カルシウムタルク、難燃剤として用いられる水酸化アルミニウム水酸化マグネシウム、可塑剤として用いられるフタル酸エステル類脂肪酸エステル類などです。

今回は、ゴムの中に含まれる添加剤の中でも FTIR で頻繁に検出されるステアリン酸類について取り上げます。ステアリン酸類は、ゴムの潤滑剤や離型剤としての機能を持ち、ゴムの加工プロセス上で非常に重要な役割を担っています。ステアリン酸は長鎖脂肪酸に属する物質で化学式は C17H35COOH です。以下

のような分子構造を有しており、長鎖アルキル基とカルボキシ基で構成されています。

ステアリン酸イオンが金属イオンと配位結合した塩であるステアリン酸塩もゴムの添加剤としてよく使用されます。ステアリン酸亜鉛やステアリン酸カルシウムなどが代表例です。以下に分子構造を示します。


ステアリン酸亜鉛


ステアリン酸カルシウム

 

これらステアリン酸類のうち、ゴムの分析で良く検出されるのはステアリン酸亜鉛です。ステアリン酸亜鉛の英語読みはジンクステアレートで、こちらの読みの方がなじみのある方もいるかもしれません。
今回は、ステアリン酸、ステアリン酸亜鉛、ステアリン酸カルシウムを取り上げ、それらのスペクトルの特徴と官能基の帰属をご紹介します。

ステアリン酸のスペクトル

ステアリン酸の主要なグループ振動を図1にまとめました。

 


図1. ステアリン酸の主要なグループ振動

 

ステアリン酸の ATR スペクトルを図2に示します。


図2. ステアリン酸の ATR スペクトル

 

これまでみてきたポリマーのスペクトルと比べると、官能基の種類が少ないにもかかわらず、多くのバンドが観察されます。これは低分子化合物の特徴で、半値幅が狭くて鋭いピークが数多く出現します。

ステアリン酸の吸収ピークの帰属

ステアリン酸の特徴的な吸収ピーク位置と帰属を示します。1-3)

 2950 cm-1 : CH3 逆対称伸縮
 2915 cm-1 : CH2 逆対称伸縮
 2870 cm-1 : CH3 対称伸縮
 2845 cm-1 : CH2 対称伸縮
 2675 cm-1 : カルボキシ基 2 量体 O - H ・・・O=C伸縮
 1700 cm-1 : カルボキシ基 C=O伸縮
 1470~1460 cm-1 : CH2 面内変角 (はさみ)
 1360~1160 cm-1 : CH2 面外変角 (縦揺れ+ひねり)
  941 cm-1 : カルボキシ基 2 量体 O - H ・・・O=C 変角
  730~720 cm-1  : CH2 面内変角 (横揺れ)

ステアリン酸のスペクトルの特徴は、2915, 2845 cm-1 の 2本の強いメチレン基由来の吸収バンドと、1700 cm-1 のカルボキシ基の C=O 伸縮振動、1360~1160cm-1 付近に現れる多数の CH2 面外変角の吸収ピークです。メチレン基のピーク強度がメチル基に対して相対的に強いため、分子内にメチレン基を多く有する、つまり長鎖アルキル基を有することがわかります。また、1700 cm-1 は脂肪族カルボキシ基由来の C=O 伸縮振動です。カルボキシ基の C=O 伸縮振動は、過去に取り上げたエステル結合(R - C=O – O -R)の C=O 伸縮振動より低波数側にシフトし、1700 cm-1 付近にピークトップが現れることが知られています。
さらに、1360~1160 cm-1 の多数のバンドは、主に CH2 面外変角 (縦揺れ)に帰属されます。この波数域には、ピークが重なっているバンドも含めて 9 本のバンドが観察されます。
興味深いことに、このバンドの数から長鎖脂肪酸がいくつの炭素原子からなるかをおおよそ推定できます。炭素原子数は、バンドの数 x 2 またはバンドの数 x 2+1 のどちらかです4)。つまりピーク 9 本の場合、炭素原子数 18 のステアリン酸か、炭素原子数 19 のノナデカン酸のいずれかに限定できるため、とても有用です。


図3. ステアリン酸の ATR スペクトル (CH2 面外変角バンド付近の拡大)

ステアリン酸亜鉛

ステアリン酸亜鉛は、ステアリン酸の末端の水素が亜鉛 (Zn) に置換されただけですが、ステアリン酸亜鉛のスペクトルの形状はステアリン酸と大きく異なります。図4にステアリン酸亜鉛の主要なグループ振動と ATR スペクトルをまとめて示します。


図4. ステアリン酸亜鉛の主要なグループ振動

 


図5. ステアリン酸亜鉛のATRスペクトル

 

ステアリン酸亜鉛は、ステアリン酸に存在していた 1700 cm-1 のカルボキシ基由来の C=O 伸縮振動が消失しています。一方で、1550 - 1400 cm-1 付近の 3本の鋭い吸収バンドが印象的です。ステアリン酸亜鉛の特徴的な吸収ピーク波数と帰属を示します。1-3)
ステアリン酸と共通のバンドはグレーアウトしています。

 2950 cm-1 : CH3 逆対称伸縮
 2920 cm-1 : CH2 逆対称伸縮
 2870 cm-1 : CH3 対称伸縮
 2845 cm-1 : CH2 対称伸縮

 1535 cm-1 : カルボキシイオン COO 逆対称伸縮
 1460 cm-1 : CH2 面内変角 (はさみ)
 1395 cm-1 : カルボキシイオン COO 対称伸縮
 1360~1160 cm-1 : CH2 面外変角 (縦揺れ+ひねり)
  740~ 720 cm-1 : CH2 面内変角 (横揺れ)

ステアリン酸亜鉛のカルボキシイオンは、逆対称伸縮と対称伸縮の 2 つの振動モードが現れます。これは、カルボン酸とカルボキシイオンで COO の化学構造が異なるからです。図6 に示すように、ステアリン酸の COO は、C - O(単結合)と C=O(単結合より強い 2重結合)の 2つの結合がそれぞれ独立して存在しています。一方で、カルボキステアリン酸亜鉛のようにカルボキシ基がイオン化した状態では、酸素原子上の電子が、もう片方の酸素原子上にも非局在化して共鳴構造を形成しているため、炭素と 2つの酸素の間の結合力はどちらもほぼ同じとなります。さらに、Zn2+ イオンは、この2つの酸素に対して両方に配位するのが最も安定な結晶構造となります1)。この配位をキレート二座配位と呼びます。カルボキシイオンが振動する際は炭素と 2つの酸素の 3原子が連動するため、対称振動と逆対称振動が現れるのです1)


図6. ステアリン酸のカルボキシ基とステアリン酸亜鉛のカルボキシイオン(キレート二座配位)の違い

 

ステアリン酸亜鉛の特徴的な 3本の吸収バンドとそのピーク位置は、ステアリン酸とも、他のステアリン酸塩(ステアリン酸カルシウムやステアリン酸ナトリウムなど)とも異なるため、このピークの位置を見ることでステアリン酸亜鉛を同定することができます。

ステアリン酸カルシウム

ステアリン酸カルシウムは、カルシウムイオンとステアリン酸イオンが結合したカルボン酸塩であり、ステアリン酸亜鉛と同様にゴムの添加剤として使用されます。ステアリン酸カルシウムの ATR スペクトルを示します。


図7. ステアリン酸カルシウムの ATR スペクトル

 

ステアリン酸カルシウムの特徴的な吸収ピーク波数と帰属を示します。1-3)
ステアリン酸と共通のバンドはグレーアウトしています。

 2950 cm-1 : CH3 逆対称伸縮
 2920 cm-1 : CH2 逆対称伸縮
 2870 cm-1 : CH3 対称伸縮
 2845 cm-1 : CH2 対称伸縮

 1575 cm-1 : カルボキシイオン COO 逆対称伸縮
 1540 cm-1 : カルボキシイオン COO 逆対称伸縮
 1470 cm-1 : CH2 面内変角 (はさみ)
 1435 cm-1 : カルボキシイオン COO 対称伸縮
 1420 cm-1 : カルボキシイオン COO 対称伸縮
 1360~1160 cm-1 : CH2 面外変角 (縦揺れ+ひねり)
  720 cm-1 : CH2 面内変角 (横揺れ)

ステアリン酸カルシウムのスペクトルでは、カルボキシイオン由来の逆対称伸縮振動が 2本(1575 cm-1 および 1540 cm-1)、対称伸縮振動も 2本(1435 cm-1 および 1420 cm-1)観察されます。ステアリン酸亜鉛より複雑な 5本のバンドとなります。これはカルシウムに配位しているカルボキシル基の環境が一様ではなく、以下に示すような3つの配位様式(単座配位、キレート二座配位、架橋二座配位)が存在するためです1)


図8. ステアリン酸カルシウムの3つの配位様式

 

その他の吸収バンドは、C-H 伸縮(2950,~2845 cm-1)、CH2 面内変角振動(1470 cm-1)、CH2 面外変角(1360~1160 cm-1)、CH2 面内変角(720 cm-1)は、ステアリン酸やステアリン酸亜鉛と共通しています。ステアリン酸カルシウム COO バンドのピーク数とピーク位置もまた、他のステアリン酸類と異なるため、ステアリン酸カルシウムを同定する上でとても有効です。

まとめ

  • ステアリン酸類は、長鎖アルキル基に帰属するメチル基、メチレン基の吸収バンドを有します。
  • ステアリン酸は1700 cm-1 にカルボキシ基の C=O伸縮、1360~1160 cm-1 に多数の CH2 面外変角バンドが現れます。
  • ステアリン酸亜鉛は C=O バンドが消失する代わり、1550-1400 cm-1 付近に 3本の鋭い特徴的なバンドが現れます。
  • ステアリン酸カルシウムは、複数の配位様式の影響で COO- 由来の吸収が分裂し、ステアリン酸亜鉛より複雑な 5本のバンドとなります。

次回は天然ゴム、イソプレンゴムに着目していきます。お楽しみに!

 

異物スペクトル解析シリーズ

随時更新していきます!ご期待ください!

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※タイトルと内容は変更する可能性があります。

参考文献

1) Peter J. Larkin et. Al., Applied Spectroscopy Practica, 2, 2, 1-10(2024).
2) Flett, M.S.C., J. Chem. Soc., 41, 962(1951).
3) K. Nakamoto, Infrared and Raman Spectra of Inorganic and Coordination Compounds Part B 5th edition

シリーズ全体を通して、各ピーク波数の帰属は以下の参考文献に基づいています。
4) N.B. Colthup, Introduction to Infrared and Raman Spectroscopy Third Edition
5) 堀口博, 赤外吸光図説総覧