第47回 異物スペクトルの解析㉔ 無機水酸化物

更新日: 2024/8/13

今回は無機水酸化物を取り上げます。無機水酸化物は金属イオンと水酸化物イオン (OH)- から成る無機化合物です。なかでも水酸化マグネシウム Mg(OH)2 と水酸化アルミニウム Al(OH)3 は、加熱すると吸熱とともに酸化物に分解し、水 (H2O) を生成するため、難燃剤として樹脂、ゴム、木材、繊維等に添加されることがあります。そのため、異物分析でも検出されることがあります。

今回は水酸化マグネシウムと水酸化アルミニウムに着目し、スペクトルの特徴と分類のポイントとをお話ししていきます。加えて、その他の水酸化物イオンを有する無機化合物についても取り上げます。

水酸化マグネシウムのスペクトル

水酸化マグネシウムのバンドを図1に示します。


図1. 水酸化マグネシウムの主要なグループ振動

 

水酸化マグネシウムの ATR スペクトルを図2に示します。


図2. 水酸化マグネシウム ATRスペクトル

 

無機化合物らしい単純なスペクトル形状です。これまで見てきた無機酸化物のスペクトルと比べると、1000 cm-1 以下に強い吸収がある点は共通ですが、一方で 3700 cm-1 付近に吸収が見られる点が特徴的です。

水酸化マグネシウムの吸収ピークの帰属

水酸化マグネシウムの特徴的な吸収ピーク波数と帰属を示します1)

 3695 cm-1 : OH伸縮

最も特徴的なピークは、3695 cm-1 の鋭い 1 本の吸収ピークです。このピークは遊離した(フリーの) OH 伸縮振動に帰属されます。通常の有機化合物の OH 伸縮振動は、セルロースのエントリでも取り上げたようにピークトップが 3300 cm-1、半値幅が 300 cm-1 程度のブロードなピークとなります。これは OH 基の水素原子が、周囲の電気陰性度が高い原子と水素結合でゆるやかに引き合っているためです。O-H の結合力の低下の程度は水素結合の強さ次第であり、一般的に強さは一定ではなくばらついています。これらの理由で、OH バンドが水素結合性を持つと、ピークが低波数シフトし、ピーク形状がブロードになります。

一方で水酸化マグネシウムは無機結晶です。結晶中の OH 基はマグネシウム原子に囲まれており、水素結合の相手がいないフリーな状態であり、孤立しています。そのようなケースでは OH バンドは、図2 のように鋭いピークとして観測されます。

水酸化アルミニウムのスペクトル

次に水酸化アルミニウムのATRスペクトルを示します。


図3. 水酸化アルミニウムのATRスペクトル

水酸化アルミニウムの吸収ピークの帰属

水酸化アルミニウムの特徴的な吸収ピーク波数と帰属を示します1,2)

 3620 cm-1 : OH 伸縮
 3525 cm-1 : OH 伸縮
 3435 cm-1 : OH 伸縮
 3375 cm-1 : OH 伸縮
 1015 cm-1 : OH 変角
  965 cm-1 : OH 変角
  915 cm-1 : OH 変角

水酸化マグネシウムより OH 伸縮振動のピークの数が増えています。3700-3300 cm-1 付近の4本の吸収ピークです。このバンドをよく見ると、バンドが重なっているものも含めて 6 本存在しています。これは、(OH)- イオンの伸縮振動が 6 パターン存在することを意味しています。

水酸化アルミニウムの結晶構造を見ると、6 つの OH 伸縮のパターンの違いが理解できます。図 4 は水酸化アルミニウムの結晶構造を b 軸の方向から見たもので、2000 年に米 American Mineralogist 誌に掲載された Shan-Li らの論文から引用しています2)。結晶格子中の (OH)- イオンが、H1 から H6 まで 6 つのパターンに分類されています。各 (OH)- イオンはアルミニウムに対する酸素の (Al-O-Al の) 結合角や結合距離が全て異なるため、その影響を受けて OH 伸縮のピーク位置がそれぞれ異なる位置に出現します。


図4 水酸化アルミニウムの結晶構造2)

さまざまな無機化合物のOH伸縮バンド

3800-3200 cm-1 付近の無機化合物の OH 伸縮バンドは水酸化物イオンを有する化合物を判別する上で有効です。様々な無機水酸化物の OH 伸縮のピーク位置を比較してみました。


図5 (OH)-イオンを有する無機化合物の ATRスペクトル
(a)水酸化マグネシウム (b)水酸化アルミニウム (c)水酸化カルシウム (d)タルク (e)カオリン

 

無機化合物の種類によって OH バンドのピークトップ位置やピークの数が異なることがわかります。異物分析でこの波数領域に鋭いピークが検出されたら、まずは無機水酸化物を疑いましょう。詳しく調べることで化合物種を同定できます。

無機化合物の OH バンドと間違えやすい水蒸気の OH バンド

4000 – 3000 cm-1 の波数域には水蒸気の OH による吸収バンドも存在します。PerkinElmer の FTIR は高度な大気補正機能を有しているため、水蒸気の OH バンドが検出されることはほとんどありません。しかし他メーカーの FTIR を使用している場合、大気中の水蒸気が検出される可能性があります。その際、大気中の水蒸気の吸収を無機化合物の OH バンドと間違えたり、無機化合物の OH バンドのピークが水蒸気のOHバンドに埋もれて気付かないことがあります。

以下の図は、Spectrum 3 で大気補正機能を意図的に OFF にして取得した水蒸気の OH バンドと、大気補正機能を ON にして測定した無機化合物の OH バンドを比較したものです。


図6 水蒸気(黒)とOHイオンを有する無機化合物(赤, 青, ピンク, 緑)の ATRスペクトルの比較
水蒸気スペクトルのみ、大気補正機能をOFFにして取得。

 

水蒸気の OH バンドはシャープなピークが数多く出てきます。特に水酸化マグネシウム、タルク、カオリンを分析する際は、水蒸気の OH バンドによる影響を受けやすいので、注意が必要です。

まとめ

  • 水酸化マグネシウムと水酸化アルミニウムは難燃剤として使用されることがあり、異物分析でも検出されることがあります。水酸化マグネシウムは 3695 cm-1 付近に 1 本の OH 吸収ピークが、水酸化アルミニウムは 3700-3300 cm-1 付近に 4 本の吸収ピークが現れます。
  • 水酸化物イオンを含む無機結晶は、3800-3200 cm-1 付近に 鋭い OH 伸縮バンドが現れます。この鋭い OH 伸縮バンドは、無機結晶内で孤立した、フリーの OH 伸縮振動によるもので、物質によって異なるため、これらの物質を分類する上で役に立ちます。

 

次回は、今回少し触れたタルクとカオリンを含む、無機ケイ酸塩鉱物を取り上げます。お楽しみに!

異物スペクトル解析シリーズ

随時更新していきます!ご期待ください!

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※タイトルと内容は変更する可能性があります。

参考文献

1) Wolska E., et al., Journal of Applied Spectroscopy, 38, 1, 137-140 (1983)
2) Shan-Li W, et al., American Mineralogist, 85, 739-744 (2000)

シリーズ全体を通して、各ピーク波数の帰属は以下の参考文献に基づいています。
3) N.B. Colthup, Introduction to Infrared and Raman Spectroscopy Third Edition
4) 堀口博, 赤外吸光図説総覧