第54回 異物スペクトルの解析㉛ ブタジエンゴム

更新日: 2025/10/15

前回の天然ゴム・イソプレンゴムに続き、今回はブタジエンゴムを取り上げます。ブタジエンゴム(BR)は自動車タイヤ・ホース・防振材などで広く使われる汎用ゴムです。ブタジエンゴムの生産量は、合成ゴムの中で最も多い SBR に続く第 2位で、工業用品や日用生活の様々な個所で広く使用されているため、異物として検出される確率も高いと考えられます。
ブタジエンゴムは 1,3-ブタジエンの重合体であるポリブタジエンを架橋反応で弾性をもたせたものです。1,3-ブタジエンを重合する過程で、3種類のポリブタジエンが得られます。cis 体、trans 体、vinyl の 3種類です。cis 体は、下図のように、C=C に結合するポリブタジエンの主鎖と水素原子のうち、赤線で示したポリブタジエンの主鎖が二重結合の結合軸に対して同じ側に配置される構造を指します。逆に主鎖が二重結合を挟んで反対側に配置される構造を trans 体と呼びます。これら cis 体と trans 体以外に、1,3-ブタジエン中の片方の vinyl 基 (-CH=CH2) がそのまま残されたユニットが存在します。このエントリではこの構造を単純にビニル (vinyl) と呼びます。以下に、1,3-ブタジエンと 3種類のブタジエンの分子構造を示します。

ブタジエンゴムは、1,3-ブタジエンを重合する際の触媒選択などにより 3つのユニットの比率を変えることで様々な機械物性(弾性・低温性)が得られ、材料設計を柔軟に行えるため、工業製品として多用されています。cis 体は柔らかく高弾性のため、主にタイヤやベルトに、trans 体は部分的に結晶化しやすいので高強度弾性体や改質剤に、vinyl 体は側鎖の二重結合で硬化性が向上するため樹脂の改質剤に、それぞれ利用されます。cis 体がブタジエンゴムとして最も多く生産されており、この3種類の生産比率の 90% 以上を占めます。そこで、今回は未配合ブタジエンゴム(cis 体)の基本スペクトルを示し、次に trans 体や vinyl との比較を行います。最後に製品として添加剤の含まれるブタジエンゴムのスペクトルにおけるブタジエンゴムの判別方法についてご紹介します。

 

ブタジエンゴムのスペクトル

ブタジエンゴムは、前述のとおりメチレン基、C=C 二重結合に由来するバンドの吸収が存在します。未配合ブタジエンゴムの主要なグループ振動を図1にまとめました。


図1. 未配合ブタジエンゴムの主要なグループ振動

 

未配合ブタジエンゴムのATRスペクトルを図2に示します。


図2. 未配合ブタジエンゴムのATRスペクトル

 

ブタジエンゴムの吸収ピークの帰属

未配合ブタジエンゴムの特徴的な吸収ピーク波数と帰属を示します。1-3)

 3005 cm-1 : =C-H 伸縮(cis体)
 2940 cm-1 : =C-H 伸縮(cis体)
 2915 cm-1 : CH2 逆対称伸縮
 2850 cm-1 : CH2 対称伸縮
 1655 cm-1 : C=C 伸縮 (cis体)
 1450 cm-1 : CH2 面内変角 (はさみ)
  965 cm-1 : C=C-H 面外変角 (縦揺れ)(trans体)
  910 cm-1 : C=C-H面外変角 (縦揺れ)(vinyl)
  730 cm-1 : C=C-H面外変角 (縦揺れ)(cis体)

ブタジエンゴムは炭化水素系の化合物なので、炭化水素のエチレン基に由来する 2915, 2850, 1450,の C-H 伸縮振動、面内変角振動のバンドがそれぞれ観察されます。加えて、特徴的なピークとして 3005, 1655, 730 cm-1 に cis 体の C=C-H に起因する吸収バンドが存在します。特に 3005 cm-1 の=C-H 伸縮と 730 cm-1 の C=C-H 面外変格振動のピークは非常に強く目立ちます。イソプレンゴムや天然ゴムにも 835 cm-1 に C=C-H 起因のピークが存在しますが、波数位置が大きく異なるため判別可能です。さらにブタジエンゴムには trans 体や vinyl のユニットもわずかに含まれているので、これらに由来する CH 面外変角のピークが得られることがあります。965 cm-1 は trans 体、910 cm-1 は vinyl に由来する CH 面外変角のピークです。これらポリブタジエン中の cis 体 (あるいは trans 体や vinyl) に由来するピークに着目することで、他のゴムやポリマーと区別できます。

 

ブタジエンゴム(vinyl)の吸収スペクトルと帰属

未配合ブタジエンゴム(vinyl)のスペクトルは、上記ブタジエンゴムの cis 体や trans 体と大きく異なります。ここでは cis 体と vinyl のスペクトルの違いについて取り上げます。


図3. ブタジエンゴム Vinyl (黒) / cis体 (赤)のATRスペクトル

 

未配合ブタジエンゴム(vinyl) の特徴的な吸収ピーク波数と帰属を示します1-3)。ブタジエンゴム(cis体)と共通のバンドはグレーアウトしています。

 3075 cm-1 : =CH2 逆対称伸縮
 2970 cm-1 : =CH2 対称伸縮
 2915 cm-1 : CH2 逆対称伸縮
 2850 cm-1 : CH2 対称伸縮

 1640 cm-1 : C=C 伸縮 (vinyl)
 1417 cm-1 : =CH2 面内変角
  910 cm-1 : CH 面外振動 (縦揺れ)(trans体)

ブタジエンゴム(vinyl) のビニル基 (-CH=CH2) に由来する 910 cm-1 のバンドが強く検出されます。また、C=C 伸縮のバンド位置も、cis 体や trans 体に比べて 15 cm-1 程度低波数側にシフトしています。

 

添加剤を配合したブタジエンゴム

次に各種添加剤を配合した最終製品としてのブタジエンゴムのスペクトルの例をご紹介します。試料として使用したブタジエンゴムは、カーボンブラック、炭酸カルシウム、可塑剤などの添加剤が含まれたゴムシートです。カーボンブラックが多量に添加されており、ダイヤモンドクリスタルでは良好なスペクトルが得られないため、Ge クリスタルで測定したデータを示します。


図4 ブタジエンゴムシートのATRスペクトル (Geクリスタル使用)

 

まずカーボンブラック添加の影響で、スペクトルのベースラインが右肩上がりとなっています。3000-2700, 1730,1150 cm-1 付近にみられるピークはエステル系可塑剤に起因します。 で示したピークがブタジエンに起因するものです。910, 730 cm-1 の cis 体ポリブタジエン特有の C=C-H 振動が検出されていることから、ブタジエンゴムが存在しているとわかります。一方で、1450 cm-1 のバンドは解析がやや複雑です。この波数域は、ゴムの添加剤として普遍的に使用される炭酸カルシウムの炭酸イオンの C-O 逆対称伸縮のピークが重なるためです。実際、870, 710 cm-1 を確認すると炭酸カルシウムの C-O 変角の鋭いバンドが検出されているため、炭酸カルシウムが含まれていることがわかります。

さてこの 1440 cm-1 付近のバンドをよく観察すると、ピークトップが 2本に分裂していることがわかります。


図5 ブタジエンゴムシート(黒)、未配合ブタジエンゴム(cis体)(赤)、炭酸カルシウム(青)のATRスペクトル(Geクリスタルを使用)

 

図5のように炭酸カルシウムの C-O 逆対称伸縮のピークトップは通常 1本しか現れないため、ブタジエンゴムシート(黒)の 1440 cm-1 付近のバンドには炭酸カルシウム以外のピークが含まれていることがわかります。一方で、未配合ブタジエンゴム(cis 体)(青)はこの波数域に 1450, 1430 cm-1 の 2本のピークトップを持ちます。どちらのピークも cis体の C-H 面内変角(はさみ)に帰属されるピークです。これらのことから、図4の 1450 cm-1 付近のバンドは炭酸カルシウムとブタジエンゴムが重なったピークであることがわかります。

 

まとめ

  • 未配合ブタジエンゴムは cis 体、trans 体、vinyl に由来する C=C-H の振動バンドがあり、特に cis 体では 3005 cm-1(=C–H 伸縮)と 730 cm-1(面外変角)が特徴的です。
  • ブタジエンゴムの trans 体は 965 cm-1、vinyl は 910 cm-1 に特徴的な面外変角ピークを示し、これらの組み合わせで他のゴムと区別できます。
  • 添加剤配合ブタジエンゴムは、カーボンブラック配合によるベースライン変化や、1450 cm-1 付近のバンドが炭酸カルシウムの C–O 逆対称伸縮と cis-BR 由来の CH 面内変角ピークの重なりがあるものの、上記特徴バンドをもとに定性分析が可能です。

次回はブタジエンゴムとともに、主に自動車タイヤに使用されるスチレンブタジエンゴム(SBR)に着目していきます。お楽しみに!

 

異物スペクトル解析シリーズ

随時更新していきます!ご期待ください!

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※タイトルと内容は変更する可能性があります。

参考文献

1) J. Guilment et. al., Vibrational Spectroscopy, 26,133-149 (2001)
2) P. Nallasamy et. al., Turkish Journal of Chemistry, 26,105-111 (2002)

シリーズ全体を通して、各ピーク波数の帰属は以下の参考文献に基づいています。
3) N.B. Colthup, Introduction to Infrared and Raman Spectroscopy Third Edition
4) 堀口博, 赤外吸光図説総覧