更新日: 2025/8/4
今回からゴムのスペクトルを取り上げていきます。前回のステアリン酸類のエントリでも触れましたが、最終製品としてのゴムは、未加硫のゴム原料に、加硫剤、加硫促進剤、さらにゴムに様々な機能を与える添加剤(加硫促進助剤、酸化防止剤、充填剤、可塑剤、滑剤、分散材・・など)を配合し混錬することで出来上がります。つまり加硫されたゴムと添加剤の混合物です。そのため、異物としてのゴムの定性分析では、主成分であるゴムの同定も重要ですが、ゴム中の添加剤種を見分けることもまた重要です。主成分のゴムの材質が同じでも、添加剤が異なれば別の製品のゴムであると判断できるためです。添加剤による分類は、似たような種類のゴムを識別する上で大きなヒントとなります。
今回は、ゴムの中でも最も生産量の多い天然ゴムを取り上げます。また、天然ゴムとほぼ同じ化学組成をもつ合成ゴムであるイソプレンゴムにも触れます。天然ゴムはゴムの木から採取される液体(ラテックス)が原料です。ラテックスの主成分はポリイソプレンで分子構造はこちらです。

イソプレンゴムは、イソプレンを重合して人工的にポリイソプレンを得ています。ポリイソプレンには繰り返し単位内に 2重結合が 1つあります。ポリイソプレンは加硫によって架橋構造 (ポリイソプレンの二重結合上の炭素が硫黄原子と結合し、さらに硫黄原子を介して隣のポリイソプレンと結合することでできる高分子鎖の橋渡し構造のこと) を形成することで、ゴム独特の高い弾力性を持つ物質となります。本ブログでは、この状態の物質を未配合ゴムと呼ぶことにします。また、未配合ゴムに各種添加剤を添加した最終製品(=異物分析で検出されると想定されるもの)を、ゴムと呼ぶことにします。
このゴムシリーズでは、基本的に未配合のゴムを最初にご紹介し、その分類方法についてご説明します。その後、各種添加剤を添加した最終製品としてのゴムの例を取り上げ、添加剤を含めた IRスペクトル解析による分類テクニックについても触れていきます。
イソプレンゴムのスペクトル
イソプレンゴムは、前述のとおりメチレン基、メチル基、C=C 二重結合に由来するバンドの吸収が存在します。未配合イソプレンゴムの主要なグループ振動を図1にまとめました。

図1. 未配合イソプレンゴムの主要なグループ振動
未配合イソプレンゴムの ATR スペクトルを図2に示します。

図2. 未配合イソプレンゴムの ATR スペクトル
イソプレンゴムの吸収ピークの帰属
未配合イソプレンゴムの特徴的な吸収ピーク波数と帰属を示します。1,3)
3035 cm-1 : =C-H 伸縮振動(cis体)
2915 cm-1 : CH2 逆対称伸縮
2850 cm-1 : CH2 対称伸縮
2725 cm-1 : CH3 対称変角の倍音
1665 cm-1 : C=C 伸縮振動
1445 cm-1 : CH2 面内変角 (ひねり)
1375 cm-1 : CH3 対称変角
835 cm-1 : C=C-H 変角振動(cis体)
イソプレンゴムのスペクトル特徴は、炭化水素のエチレン基、メチレン基に由来する 3000-2700, 1445, 1375 cm-1 のそれぞれのバンドが強く観察される点です。さらに特徴的なピークは 3035, 1665, 835 cm-1 に検出される C=C に起因する吸収バンドです。特に 835 cm-1 の C=C – H 変格振動のピークは非常に強く目立ちます。イソプレンゴムや天然ゴムの分子内には、加硫による架橋構造形成に関わることができなかった未反応の C=C を多く含むため、このバンドはイソプレンゴムや天然ゴムを判別する際の重要な目印となります。
さて、3035, 835 cm-1 のバンドはいずれも cis体の C=C – H に関係する吸収です。cis体とは、以下の左図のように、C=C に結合するポリイソプレンの主鎖、メチル基、水素原子のうち、赤線で示したポリイソプレンの主鎖が二重結合の結合軸に対して同じ側に配置される構造を指します。逆に、右図のように主鎖が二重結合を挟んで反対側に配置される構造を trans体と呼びます。cis体と trans体では、各振動モードの吸収ピーク波数が異なります。

図3.cis体と trans体
イソプレンゴムは、ゴムポリマーに含まれる C=C のうち 98%が cis体で、2%が trans体です。天然ゴムはほぼ 100%が cis体となっています。
さて、835 cm-1 のピークは、PEEK のベンゼン環 C-H 面外変角(パラ位 2 置換)のピーク位置と重なりますので、注意しましょう。PEEK であればベンゼン環があることを確認、イソプレンゴムであれば前述した 3035 cm-1 と、2725 cm-1 の 2本の小さなバンドの存在を確認すれば判別可能です。2725 cm-1 のピークは C-H 伸縮振動ではなく、1375 cm-1 の CH3 対称変角振動の倍音 (Overtone) と考えられます。その証拠にポリプロピレンやブチルゴムなどメチル基リッチなポリマーは、この波数域付近に見逃してしまいそうなほどのごく小さな吸収を持っています。
天然ゴム
天然ゴムのスペクトルはイソプレンゴムのスペクトルとほぼ同じです。研究レベルでは未配合の天然ゴムに含むまれるタンパク質などの不純物、trans体のピーク強度などのわずかな差を利用して FTIR による判別の試みも行われています2)。しかし異物分析レベルでこれらを見分けるのは困難ではないかと思われます。ここでは、各種添加剤が配合された天然ゴムのスペクトルの例をいくつか示します。

図4. 添加剤を含む天然ゴム製品
セロハンテープ粘着面(黒) / 輪ゴム(赤) / クリーンルーム用手袋(青) の ATRスペクトル
3つのスペクトルは、いずれも成分に天然ゴム(ラテックス)が入っていることが示されている市販品を入手して測定しました。3つのスペクトルにの共通点は、イソプレンゴムの章でお話しした通り、メチル基、メチレン基の強い吸収バンド、C=C – H に伸縮、変角のピークです。これらのことから主成分は天然ゴム(またはイソプレンゴム) と判断できます。一方で、3つのスペクトルには異なる点も観察されます。例えばセロハンテープ(黒)には天然ゴムには存在しない 1495, 700 cm-1 に吸収ピークが見られます。これはスチレン系の物質に由来するピークで、セロハンテープの粘着面は天然ゴムとスチレン系物質の混合物であることがわかります。また輪ゴムのスペクトルには、長鎖アルキル基(鉱油)、シリコーン、タルクが混合していることがわかります。またクリーンルーム用手袋のからは、炭酸カルシウムのピークが認められます。
このように、一口に天然ゴムといっても添加剤の種類によってスペクトルの印象が異なりますので、ゴムの定性分析難易度はやや高いと感じられます。しかし、添加剤に着目することで、これら3種類の天然ゴム製品がそれぞれ別の製品であると識別することができます。
まとめ
- 天然ゴム・イソプレンは、炭化水素のエチレン基、メチレン基に加え、3035, 1665, 835 cm-1 に検出される C=C に起因する吸収バンドが特徴的です。
- ゴムは主成分が同じでも添加剤の配合によってスペクトルが異なります。主成分の未配合ゴムの同定に加え、添加剤の種類が同定できると、FTIRでゴムを識別する技術が大きく向上します。
次回は自動車タイヤやホースなどに使用されるブタジエンゴム(BR)に着目していきます。お楽しみに!
異物スペクトル解析シリーズ
随時更新していきます!ご期待ください!
① 有機物か?無機物か?
② ポリエチレン
③ ポリプロピレン
④ スチレン系樹脂
⑤ ポリ塩化ビニル(塩ビ樹脂)
⑥ アクリル樹脂
⑦ ポリエステル
⑧ ナイロン(ポリアミド)とタンパク質
⑨ セルロース
⑩ ニトリル系樹脂
⑪ ウレタン樹脂
⑫ ポリカーボネート
⑬ シリコーン樹脂
⑭ フッ素樹脂
⑮ イミド系樹脂
⑯ エポキシ樹脂
⑰ エチレン酢酸ビニル樹脂(EVA)
⑱ ポリアセタール(POM)
⑲ 芳香族ポリエーテルケトン(PEEK)
⑳ 芳香族ポリスルフィド(PPS,PES)
㉑ 無機酸化物(シリカ, ガラス)
㉒ 無機酸化物(アルミナ, 酸化鉄)
㉓ 無機酸化物(酸化チタン, 酸化亜鉛)
㉔ 無機水酸化物
㉕ 無機ケイ酸塩鉱物(タルク, カオリン)
㉖ 無機炭酸塩 (炭酸カルシウム等)
㉗ 無機硫酸塩 (硫酸バリウム等)
㉘ 岩石と砂
㉙ ゴム添加剤(ステアリン酸類)
㉚ 天然ゴム・イソプレンゴム ← Now!!
㉛ ブタジエンゴム(BR)
㉜ スチレンブタジエンゴム(SBR)
㉝ エチレンプロピレンゴム(EPDM)
㉞ ニトリルゴム(NBR)
㉟ ブチルゴム(IIR)
※タイトルと内容は変更する可能性があります。
参考文献
1) P. Nallasamy et. al., Arabian J. Sci. Eng. 29, 1A, 17-26(2004)
2) S. Rolere et. al., Polymer Testing, 43, 83-93(2015)
シリーズ全体を通して、各ピーク波数の帰属は以下の参考文献に基づいています。
3) N.B. Colthup, Introduction to Infrared and Raman Spectroscopy Third Edition
4) 堀口博, 赤外吸光図説総覧